ユメ小説についての見解と考察

ユメ小説という文化について、ここ最近のわたしの動向から考察する記事です。ハイキュー‼︎の話をします。すみません。

 

ユメ小説という文化を知ってもう十数年になるのだけれど、「原作を好きならそのジャンルのユメが好き」というわけではなかった。例を挙げるならハイキュー!!だ。友情・努力・勝利を基に、主人公とその仲間が強くなっていく過程を、きちんと段階を踏んで丁寧に描いている。その上で、ライバル校や弱小校にも嫌なヤツは誰一人としていない、後ろめたさも薄暗さも一切ない作品である。バレーをしている彼らはまっすぐで、ひたむきで、自分の青春を悔やむほど格好いい。久しぶりに週刊少年ジャンプで素晴らしいスポ根漫画を読むことができる。だからこそ、原作の彼らの格好よさでわたしはおなかがいっぱいだった。だからハイキュー‼︎ユメ、あるいはボーイズラブが人気でも、その存在を知っても手をつけることはなかった。彼らがバレーをしている。それ以上のことはいらなかったし、思いつかなかった。

沼に沈んでいくきっかけはいつも些細なことだ。別ジャンルで好きになった作者がハイキュー‼︎ユメを書いている、ただそれだけで冗談半分に読み始めた。「黒尾がwww女をwwww口説いてるwwwww」と最初は笑ってしまった。比喩ではなく、声に出しての大爆笑だ。最初が黒尾だったのがいけないのかもしれない。黒尾好きだよ。

次に、大学生パロディものや社会人パロディものを見つけ、これならいけると思った。なぜわたしはパロディものなら読むことができるのだろうか。週刊少年ジャンプ内ではバレーばかりしている彼らが、色恋沙汰にうつつを抜かしている様子がわたしには辛かったのかもしれないと気づいた。オタクの妄想の中で大学生や社会人になった彼らは、穏やかにバレーをしたり当時を思い出したりしている。高校時代にバレーをしていたんだと語る彼らは、当時の経験があるからこそかっこいい男性に成長を遂げているのだ。最高かよ。ただの妄想だけど。

しかしそのパロディには結局、重大な問題がある。最高に輝いてバレーをしていた高校時代、それが彼らの今後の人生の根幹となっていくだろうに、そこを描かずにどうやって彼らの魅力を引き出すのかということだ。週刊少年ジャンプ内でひたむきにバレーをしている彼らは本当に眩しい。だからこそ、それを通り過ぎた箇所だけを描くことは、彼らの魅力を半減させているのではないだろうか。その時代の彼らを実際に目の当たりにしていないヒロイン(もしくは男主人公)に、彼らの持つ魅力を本当に理解することができるのだろうか。いや、パロディもの大好きだけどね、ハタチ過ぎた岩ちゃんに鬼殺しを飲んでいてほしいよね、及川にスーツ着てヘラヘラ外回り営業してほしいよね、スガさんに照れながらニコニコとプロポーズされたいよね、わかる〜。

その違和感があったことで最終的にわたしは、彼らが本誌でバレーをしている高校時代の二次創作に手をつける。バレーをしているからこそ彼らがある。それをヒロイン(あるいは男主人公)は、彼らが青春を捧げている姿を見る。これこそ重要なことではないだろうか。しかしここで再び、わたしの心を当初モヤモヤさせていた「彼らは本誌ではバレー馬鹿をやっているのに、我々の欲求を満たすだけの身勝手な二時創作で彼らに色恋沙汰にうつつを抜かせさせていいのだろうか」問題が浮上する。この問題はハイキュー‼︎だけでなく、様々な原作に当てはまる。これを二日間くらい考えていた。具体的に言うとゴールデンウィークの最終日二日間である。最高に不毛な最終日であった。

結局わたしたちユメ小説愛好家は、誰かが作ってくれた格好いい人にあんなことされたいこんなことされたいという欲求だけをぶつける自己愛クソオタクなんだろうか。クソは言い過ぎました。でも実は、ユメ小説を知ってから十数年悩んできたことだった。自己嫌悪と自責の念で危うくなりながらもユメを読んできたのだ。危うくなるくらいなのに何をしてきたんだわたしは。

だが、わたしが辿ってきた「パロディものから高校時代もの」という過程を見る限り、それだけじゃないのではと思い始めた。具体的に言うと二口視点で進む中編ものを読んで気づいた。

ユメ小説の傾向として、ヒロイン視点で進む話が割と多い。それは多分、名前を入力した人物に、より一層自己投影するためではないだろうか。乙女ゲーム恋愛シミュレーションに似た感覚だ。

しかし、二口(既存キャラクター)視点のもの。それはものすごく丁寧に二口の心理描写を描いていた。原作の二口はああだからきっとこう考えるだろうな、原作の二口はこう言っていたな。言動から地の文に至るまで、すべてが二口だった。既存のキャラクターを創作するというのは結構難しいことだ。さりげない会話のたった一言返答の、言葉のチョイスが微妙にずれてしまったり、発想から思考回路、そして結論のどこかが合わせられなかったりする。既存のキャラクターからズレたユメ小説は、ただキャラクターをモデルとした恋愛小説でしかない。上記の小説は「メッチャ二口」だと思った。彼の口調が言動が、脳内で再生された。そこで気づいた(思い出した)。二時創作は原作への愛があるからこそなのだ。当たり前のことだけれど、忘れていた。

バレーをやる彼らがこう言っていた、こういうプレーをするから恋愛の時はこう。そうやって原作から酌み取られる要素をひとつずつ分析して練りに練り上げて、文章や漫画として表す。今回は「ハイキュー‼︎のユメ小説をあんなに読みたくなかったのに、なぜ読むようになってしまったのか」というところからの考察だった。だけども当然のことながら、これはどの作品にも当てはめることができる。

そしてもちろん、ユメ小説だけでなくボーイズラブなどの他の二次創作ジャンルにも当てはまる。既存キャラクター同士のボーイズラブでは、その思いが二人分になっているのではないだろうか。「彼だからこうするだろう」×「彼だからこうするだろう」だ。

 

 

結局二次創作界隈で最大に思われていることは、「一番格好いい彼らを書きたい/読みたい/見たい」ではないだろうか。ユメ小説などの二次創作が生まれた原動力の一部だと思う。自己愛もその一部かもしれないけれどね。ウアア〜二次創作が好きなおれなんて原作レイプ加害者だよォ〜〜〜と自己嫌悪に浸る前にいま一度、原作が好きだからこそ二次創作も好きという気持ちがあることを思い出して欲しい。明るい同人活動推奨委員会からのお願いでした。同人活動著作権侵害にあたるか否かというグレーゾーンについては、次回ということで。スンマセン。

 

「彼らに色恋沙汰にうつつを抜かせさせていいのだろうか問題」ですが、「バレーに集中したいから(フラフラしてないで)付き合って欲しい」という二口のセリフ(※妄想)でファイナルアンサーが出たのでこれにて終了したいと思います。

 

 

 

 

Twitterの下書きに「ア〜連休明けの月曜日だから二口に『ひとくち食べる?あっ、ふ、ふたくち食べる?(笑)』って言いたいし 二口の部室のロッカーに書かれている名前に縦線一本足して『エロ』にしてど叱られた〜い」って書いたまま力尽きて寝ていた。

 

 

 

 

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